尾畠春夫さん(捜索ボランティア)が山口県の行方不明になっていた2歳児の男の子を発見しました。

300人体制で探していても見つからなかったのに、どうやって見つけたのでしょうか。

捜索ボランティアというのも聞きなれないですよね。

そこで今回は、
・尾畠春夫さんは誰なのか?経歴や2歳児をどうやって見つけたのか?
・捜索ボランティアとはどんな組織なのか
について紹介します。

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尾畠春夫さんは誰なのか?経歴や2歳児をどうやって見つけたのか?

朝日デジタルでは、下記のように報じています。

山口県周防(すおう)大島町で12日から行方不明になっていた藤本理稀(よしき)ちゃん(2)=同県防府市=が15日午前6時半ごろ、同町家房の曽祖父宅付近から数百メートル北東の山中で発見、保護された。県警によると、理稀ちゃんは脱水症状がみられるが、目立った外傷はみられず、受け答えもできているという。県警によると、ボランティアで捜索に加わっていた大分県の70代の男性が、理稀ちゃんの名前を連呼しながら山中を分け入っていくと「ぼく、ここー」と返事があった。理稀ちゃんは沢の近くでしゃがんでいたといい、男性があめ玉をあげると、かみ砕くように食べたという。

 男性は理稀ちゃんを持参していたバスタオルにくるんで山を下り、途中で警察官と合流して、曽祖父宅に送り届けた。理稀ちゃんは母親(37)や祖母らと面会し、受け答えもできていたという。その後、山口県柳井市内の病院に搬送され、診察を受けている。

 理稀ちゃんは12日午前10時半ごろ、祖父(66)と兄(3)と歩いて約400メートル離れた海岸に海水浴に向かったが、家を出て100メートルほどのところで、「帰る」などと言って、1人で家に戻ろうとしたという。

 祖父は理稀ちゃんが曽祖父宅の近くまで歩く姿を見ていたが、その後に家を出た母親と他の子ども2人は理稀ちゃんと会わず、行方がわからなくなっていた。

 県警や消防などは12日から捜索を継続。150人態勢で曽祖父宅の周辺を中心に、側溝や斜面の下、井戸や空き家などを捜していた。

出典:https://www.asahi.com/articles/ASL8H2TTWL8HTZNB00C.html

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発見した尾畠春夫さんは誰なのか?

尾畠春夫さんは誰なのか?に注目が集まっています。
ツイッターでは下記の情報がありました。

名前:尾畠春夫(おばたはるお)
年齢:79歳
在住:大分県日出町
職業:遭難ボランティア

尾畠さんは入山して30分で見つけてしまったということです。
尾畠さんは凄腕ボランティアとして、これまで被災地などで貢献しているとのこと。

2016年12月にも、大分県で当時2歳の子どもの行方が分からなくなり、約21時間後に発見されましたが、この時も尾畠さんが活躍したとのこと。

当時のニュースがこちら。

大分県佐伯市宇目の畑で行方が分からなくなり、約21時間後に無事発見、保護された徳永暦(こよみ)ちゃん(2)=同市城南町=の捜索には、市民の姿も目立った。6日午前0時に警察と消防が捜索を中断した後も、懐中電灯などの明かりを頼りに活動。結果的に暦ちゃんが発見されたのは、捜索隊が捜していたのとは別のエリア。市民も加わった大がかりな捜索が小さな命を救った。

 「暗闇の中に光るホタルのように見えた」。菅地区の林業男性(70)は言う。6日午前0時に警察などが捜索をいったん打ち切った後も捜索を続ける人々が手にするライトだったとみられる。暦ちゃんの両親や親族が続ける捜索に、佐伯市の会社員播磨壯亮さん(40)ら2人も加わった。

 播磨さんは両親と知り合いではない。ただ、同じ2歳の娘を持つ親として「いてもたってもいられなくなり」捜索に加わることにした。仕事を終えて現地に着いたのが6日午前1時すぎ。宇目出身の高校の先輩と共に警察や消防の捜索が再開される早朝まで現地にとどまり、暦ちゃんの無事を願った。ボランティアは他にもいた。日出町の尾畠春夫さん(77)もその1人。各地で行方不明者の捜索に加わったことがあるという。

出典:https://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/310087/

他にも、東日本大震災から時間が経つにつれ、人々の記憶から風化しないよう本州を歩いて一周し、出会った人に震災のことを忘れないよう訴える活動もしていました。

日出町の尾畠春夫さん(74)は東日本大震災直後から、津波で被災した宮城県南三陸町にボランティアとして毎年訪れている。
震災から3年、世間から被災地のことが次第に忘れられているのではないかと感じた尾畠さんはある行動にでた。それは本州一周を歩いて旅をすることだった。

白装束を身にまとい、リュックに掲げた旗には目立つように書かれた「東日本大震災の復興を願う旅」の文字。

奇抜なお遍路さんの格好をして歩く尾畠さんは出会った人たちに被災地のことを忘れないでと訴えた。

出典:https://www.tnc.co.jp/dq/back-number/archives/300

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捜索ボランティアとはどんな組織なのか

尾畠さんが活動するボランティアとはどんな組織なのでしょうか?

具体的な組織まではわかりませんでしたが、東日本大震災では「思い出探し隊」の隊長を務めるなど、手広く活動されているみたいです。

2011年の東日本大震災では、3月から宮城県南三陸町でボランティアとして活動していた。町から依頼され、被災地で、人々が大切にしていた物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた。

軽自動車で3日かけて被災地へ。日本列島縦断の旅で、テントを干していた南三陸町で親切にされた人を訪ねたことがきっかけとなったという。

2004年の新潟県中越地震の被災地でもボランティア活動に参加していた尾畠さん、若いボランティアからは「師匠」と呼ばれていたという。その後も大分と車で往復しながら計500日間支援に当たったという。(朝日新聞2011年04月27日)

師匠と言われているみたいですね。
かなりの場数を踏んだベテランです。

今回の山口の救出も、長年の経験からくる「勘」で見つけたとのこと。

本当に無事に見つかってよかったですね!